それも愛

性懲りもない日々をつらつらと

「マチネの終わりに」一気読み

作者の平野啓一郎氏の本は初めて読んだ。

三島由紀夫の再来」と言われ、華々しいデビューをした氏の作品は難しい類のものじゃないかと勝手に想像してこれまで手を出さなかった。

「マチネの終わりに」は毎日新聞に連載された大人の恋愛小説だとゆうので、それなら読みやすいだろうと読み始めた。

 

確かに大筋は40代の男女の恋愛小説(大人ゆえの切ない悲恋)だけど、運命や国際的な社会情勢、戦争や歴史とか生と死とか重層的なテーマが散りばめられて、そこに作者の考え方が提示されていて、なるほどと思う部分も多々あった。

僕は平野氏が解説をしたピアノのグレン・グールドのCDを持っているが、音楽のほかにも絵画展のキュレーターをするなど氏は芸術に造形が深い。そうゆう基本的な教養が作品を豊かなものにしてる。

 

新聞に連載しただけあって、ストーリー展開も次はどうなるんだろうと期待させるもので、一気に読み終えた。主人公のキャラもいいが彼が会ってすぐに心を奪われてしまうヒロインが特別魅力的な人物像に描かれている。美貌にめぐまれ知性も人格も申し分ないが順調な人生を送るわけではない、思わぬ巡り合わせで人生は左右される・・・

 

主人公は、クラシックギターの有名な演奏者との設定で、ギターの演目がいくつも出てくる。たまたま最近若いクラシックギターの演奏者と知り合いになったので、この本を読んでなかったら今度贈呈しようと思う。

そして作品に出てくる曲の中でこれはと思う1曲を演奏してもらうのも楽しいだろう。

 

三たびの天狗岳

「女心と秋の空」と言うがそれ以上に変わりやすいのが山の天気だ。

下界が晴れてても、山の上では曇ったり雨が降るのはよくあることだし、1日のうちでも天気の変動が大きい。

この7月に赤岳に登った時には、雲に覆われた頂上ではほとんど眺望がなく、下山した頃に晴れ間が広がり、あーあとため息をついた。

 

夏も終わり眺望を期待して同じ八ヶ岳連峰の天狗岳に登ることにした。

天狗岳には2年前の夏と昨年の冬にも登ったが、ともにアプローチでは晴れていたのに、稜線に出ると風雨や吹雪で眺望は望めなかったので、こんどこそと期待して出かけた。

 

9月の中旬、宿泊した標高2,330メートルに立つオーレン小屋(オーレンとは白い可憐な花を咲かせる多年草)にはすでに電気こたつが用意してあった。オーレン小屋は近くの沢の豊富な水流を利用して自家発電をしてほぼすべての電力をまかなっているそうだ。小屋名物の桜鍋の夕食後こたつに入ると小屋番のおじさんが、火災報知器を各所に配していることをちょっと自慢げに話してくれた。

 

曇り空の朝、天気の好転を期待して天狗岳を目指した。シラビソの樹林帯を抜け、稜線へ出ると、強い風が吹き霧のため眺望は全くなかった。こりゃ2年前と同じかと思いながら白砂の道を風に煽られながら進んだ。ゴツゴツした岩山の根石岳をまたいで東天狗岳に登頂した。目の前にそびえてるはずの西天狗岳は霧のため見えなかったが、せっかく来たんだし登っとこうかと西天狗に登った。

 

西天狗に登りしばし休憩していると、にわかに雲が切れた。目前に東天狗がそびえ、奥には前日登った硫黄岳や7月に登った赤岳までの眺望が開けた。

急に気分爽快、思わず笑顔になった(多分)

往復コースなので東天狗に戻り、過去2回見損ねた景色をしばし眺めた。

すっきり快晴だと北アルプス南アルプスまでも望めるはずだが、全く見えないのとは雲泥の差だ、よしとしよう。

f:id:takegami1717:20160917170923j:plain

「うつり気な 山の天気に 手を合わす」

 今回は変わりやすい山の天気のおかげで、いい眺めをを楽しむことができた。

 

 

 

 

参りました!

9月に入っても東京の気温は30度を越しまだまだ暑い。

とゆうことで今シーズンのランニング初戦は、高原の涼しさを期待して標高1300〜1600メートルで行われる八ヶ岳ロードレース」に参加した。

会場はスキー場の施設を利用していて、目の前には7月に登った赤岳が雄々しくそびえていた。

雨の予報もあったが、日頃の行いが良いせいか幸い天気は大丈夫だった。

 

2月のフルマラソン以降あまり走ってないし、足慣らしでと望んだ大会だったが、それは大甘だった。スタートして会場を出るとそこからいきなり2キロの急坂を下る。

「そうか、ここはスキー場だもんね・・」と思ったがもうおそい。

下りはスピードが出るのはいいが、着地の衝撃が強く足が消耗してあとあと効いてくる。特に急坂はコントロールがむづかしい。どうにも止まらない状態で「えい、ままよ」と落ちるように下っていった。

やっと長い下りを終え八ヶ岳横断道路に入るとそれからもアップダウンの連続だった。時折ひんやりした谷風がここちよい瞬間もあったが、レース後半は気温も上がり、完全にバテてしまった。

最後の長い登りではとうとう何度か歩いた。レースで歩いたのは2度目だ。前回は10キロのレースだったが、やはり長い急坂のあるコースだった。(秩父の森)

 

今年で第37回となった伝統ある八ヶ岳ロードレースだが、エイド(レース中の補給)がなんと水と皿に盛っただけだった。さすが質実剛健山梨県気風だ!(戦国時代か!?)

結果はワースト記録を更新。ただこれはエイドのせいでなく自分の準備不足である。

こんなハードコースはそれなりに走り込んでないと足がもたない。前半つかせてもらったベテランランナーは後半もペースを維持し、僕は途中からついていけなかった。

 

参りました!

できたら次はエイドにレモンくらいはおいてください。

f:id:takegami1717:20160909134026j:plain

 

甲斐大泉「チャンドラ」再訪

清里で開催された「八ヶ岳ロードレース」のハーフマラソンに参加するため前泊した。

宿は清里の隣まちの甲斐大泉にある「チャンドラ」。昔のペンションを改装して1階をライブもできるジャズバー、2階は元からの宿泊施設でオーナーは昔僕が銀座にある会社に勤めていた時の同僚のO君だ。

O君は仙台生まれで東京の会社に就職し15年勤めた後、一念発起してバーテンダーと料理の勉強をして、このジャズバー & INN を2003年に開業した。

彼は同じ会社にいた頃、真面目で礼儀正しく地味なタイプだった。新興著しくイケイケムードの会社で社員も自己主張が強く目立ちたがり屋も多い中、一見気の弱そうでいて上司にも媚を売らないところが僕の印象に残っていた男だ。(僕の部下だったことがある)

その彼が脱サラをしてそんな店を開くとは、すでに退職していた僕が人づてに聞いた時はちょっとびっくりした。それから程なく訪問したのが8年前のことで、その時は大学時代の友人3人でジャズライブのある週末に宿泊した。

 

久しぶりに会ったO君は相変わらず控えめで丁寧だが、10年以上店を切り盛りしてきた逞しさが感じられた。

夕食は外食でもいいですよと言われたが、一階のバーでいただいた。ヘソ丈ほどのJBLのスピーカーから生演奏のような音でジャズが流れていた。

ライブのない土曜日のバーの客は僕の他は地元の常連客が一人だった。宿泊客はネットの評判などで比較的安定しているようだが、ジャズバーの方は平日では客の来ない日もあるらしい。それでも「バーですから12時までは店を開けてます」と。

バーメニューしかありませんとゆう料理はシンプルだがなかなかうまい。

リーズナブルすぎる値段のボルドーワインを飲みながら、この日は前回聞けなかったこの地でジャズバーをやるに至った経緯を聞いた。

 

就職する学生の多くがそうであるように彼もまた確固たる信念で会社に就職したワケではなかったようだ。いずれ自分の道を選ぼうと思っていたそうだ。

同僚とワイワイ酒席に交わるとゆうことの少なかった彼は、ある日偶然入ったジャズバーで遭遇したジャズライブに魅了され、その店の常連になりそのうちミュージシャンとも親交が出来たそうだ。その後いろんな縁もありこの地で開業に至ったそうだ。

転職とゆうか、全く違う分野での独立、おそらく大してもうからないことを承知で好きなことを生業にする決意をし、それを実行したO君を改めてたくましいヤツだなと思った。

 

翌朝、チェックアウトをして「次は間を空けずに寄せてもらよ」と僕が言うと、「それは・・」と彼は答えた。・・は「また機会があればお寄りください」とゆうことだろう。「またぜひ」と言わないところが彼らしいなと思いながらハーフマラソンの会場に向かった。

f:id:takegami1717:20160905160142j:plain

 

代々木上原で下村順子展

旅先での出会いは時に印象的なもので、陶芸家の下村順子さんともそうだった。

 

もう7、8年前か、京都の中心部の古い町並みの堺町通りを一人ぶらぶらしていて、古い町家を改装したギャラリーに何気なく立ち寄った。

小ぢんまりした前庭を抜け建物に入ると、吹き抜けの天井の天窓から薄い光がさす細長い三和土(たたき)に焼き物の展示があった。他に来客はなく静かな空間に下村さんが一人で居た。

その時は町家のギャラリーの方に興味がわき、作品のことより建物について色々聞いた記憶がある。焼き物はオブジェ的なものが多かった。下村さんがアフリカ旅行に行って触発されたとゆうサハラ砂漠をイメージしたプリミティブな印象の作品が多かった。

ぼくは四角いドーナツのような(イサム・ノグチの「エナジーボイド」みたいな)作品を購入した。

 

以来個展の案内のハガキが年に一度くらい届く。(京都の「堺町画廊」は定例化しているようだが都内ではあちこちのギャラリーでやってるようだ)

作品はオブジェ的なものからその後割とオーソドックスな器ものに取り組み、最近は器ものがだんだん自由な造形や仕上げになり、下村カラーの器になってきたように思う。

 

今回は代々木上原の住宅地にある「ギャラリーYori 」での個展だった。上品で明るい感じの女性店主と下村さんと三人で歓談した。作陶工程の説明も聞けて興味深かった。

下村さんは華奢でポキっと折れそうな体つきをしている。服装もいつも地味だし化粧っ気もない。でもその作品からは自由で力強いエネルギーを感じる。

事前には日本画に合わせる花器かなと考えてたけど、トルソー的な作品が気に入ったのでそちらを購入した。

さて、どこにかざろうか・・

 

f:id:takegami1717:20160830143135j:plain

 

 

 

合唱と蟬しぐれ

朝軽く瞑想をする。ホントは15分くらいはやりたいと思いつつ、雑念が多いぼくは5分くらいで止めることが多い。

今朝は蝉の大合唱が耳に入ってきた。夏も終盤に差し掛かり、蝉もラストスパートだ。

やかましいほどの音量だがいつの間にか聞き入ってしまう。夏とともに逝く蝉の必死さが伝わってくるからかなぁ・・などと考えていて、「そうかあれはそうだったのか!」と思った。

瞑想をしてるとそんなことがたまにある。

 

先週、高校の同級生が入っている合唱団の発表会に行ってきた。アマチュアの合唱団だが歴史のある区の合唱団だ。指揮者はバリバリのプロで、ソリストもかなりのレベルのプロがゲスト参加していた。

団のセンター付近に立った彼女の表情からいつにない感じを受けた。これまでも発表会は何回か聞かせてもらっているが、平素はマイペースな彼女もさすがに緊張した面持ちでいつも舞台に立っていたように思う。が、今回は何か強い意気込みのようなものを醸し出していた。

そのせいかいつものは3回以上は寝落ちしそうになるクラシック系の演奏会で1回しかそうならなかった。

発表会が終わり、同級生での飲み会の席で彼女から合唱団での苦労話も聞いた。なんでもそうだが組織でそれなりのポジションになるとなったで何かと軋轢があるものだ。利害関係のなさそうなアマチュアの趣味の集まりでも人間関係は大変らしい。

舞台の上と同じくその日の彼女はいつもより綺麗に見えた。

ダイエット?いい化粧品?はたまた恋でも・・などと杯を重ねながらぼんやり考えつつ楽しく宴会は終了した。

 

今朝一心に鳴く蝉の声を聞き彼女が綺麗に見えたのは、きっとこの合唱の発表会に注いだ努力や懸命な心情がぼくにも伝わってきたからだと思った。

「君は蝉だったんだね」とは言えないので、このことは彼女には黙っておこう。

 

 

今年の夏の旅のお供

夏休みで実家に帰省したり、どこか旅行に行くときには旅程に合わせて何冊か新しい本を持っていく。

日常を体ごと離れる旅行と、頭の中で時空を超える本(=物語)とは相性がとてもいい。

これまで読んだ夏旅の本では、20年ほど前バリ島に一人旅で9日間滞在したときに読んだ「マシアスギリの失脚」by 池澤夏樹 が印象深い。(旅行そのものもいろんな事があって面白かった)

架空の南の国での政変劇を描いた長編で、池澤氏の作品ではベストだと思う。

 

さて今年の夏は・・とブックセンターで手にとった本は、

月と6ペンス」 by サマセットモーム

若いときに読むような古典だけど、読みそびれていた。

寓話的な物語をイメージさせるタイトルと夏っぽい作者の名前(サマー!笑)に惹かれてこれを選んだ。

 

事前情報なしに読むと1919年に発表されイギリスで大ベストセラーになった作品は、さすがに読み応え十分だった。

株の仲買人から画家に転身したゴーギャンにヒントを得て書いたらしいが、ゴーギャンの実際の生涯を描いたものではなく、人間の生き方、男女の愛憎、悲劇や救いを画家の波乱の生涯の中に織り込んだもので、他のどんな作品にも似てない独自の作品だった。(月も6ペンスも一切出てきません!)

特に、絵を描くことに全てを捧げ他人には辛辣で容赦のない主人公と彼に憤慨しながらその人間性に興味を持つ文筆業の「私」とのキレのある会話が良かった。

 

久しぶりの旅のお供のヒットだった。