京都慕情
「京都慕情」と言う曲が好きだ。
昭和40年代にベンチャーズが作曲して渚ゆう子が歌い大ヒットした曲だ。
そこのろ僕は小学生だった。
のちに何度かカバーされていて、最近では昨年BS NHKの「京都人の密やかな愉しみ」のエンディングで使われた。(歌は武田カオリ、このバージョンもかなりいい)
「🎵 苦しめないで、あゝ責めないで、別れのつらさ知りながら〜 」
歌をきいて小学生だった僕は恋とゆうものは女の人が苦しむものなのかと思ったが、男も苦しむものとだいぶ後年にわかった。
その京都にこの10月の連休に高校時代の恩師と旧友たちで訪れた。
さしづめ大人の修学旅行、何年たっても先生と生徒の立場は変わらなかった。50半ばにして生徒に戻りはしゃがせてもらった。
僕は京都が好きで都度都度行くが、今回は関西在住の同級生の手配で楽しい観光となた。一見さんお断りの祇園の粋な小料理屋にも上がれたし、古い木造建物の銭湯のお湯にも浸かった。持つべきものは友である。
2泊3日の大人の修学旅行だったが、せっかくの京都なので個人的に延泊した。
ワイガヤの修学旅行から一転、一人気ままに秋の特別拝観などいくつか神社仏閣に足を伸ばした。
前日までのてんこ盛りの観光でお疲れだったのか早めに切り上げて、京都でよく寄る蕎麦屋の「つるや」に行った。
だし巻きと天ぷら、日本酒を飲んで締めに関西らしく「きざみそば」、いつもながらうまかった。
市役所の少し北側になる夷川町にある店を出て少し歩くと鴨川べりに出る。
鴨川沿いを四条河原町付近まで歩いた。川の音が清々しい、鷺も何羽か見かけた。
「🎵 あの人の姿懐かしい、黄昏の河原町〜 」やっぱりいい曲だな、願わくば次は手でもつないで・・
京都駅で伏見のお酒を買って新幹線に乗り込んだ。
東山の方角に発車すると窓の外はだいぶ暮れかかっていた。
「🎵 遠い日は二度と帰らない 夕やみの東山〜 」
大人の修学旅行はほろ酔い気分で静かに終わった。
小屋への憧憬
たま〜に無性に気になって、どうしてもそこに行きたいとか、手に入れたいとか言うものがある。
いま、その行きたくて欲しいものが「山麓の小屋」だ。
別荘なんて上等なものでなく、山で言えば避難小屋みたいな、子供の秘密基地みたいなものだ。
電気も水道も来てなくてもいい。雑木林の中とかがいい、でも空が広がってないとダメだ。夜、輝く星が見えないと嫌だ。(そこで焚き火をする)
ここ数年、何度か八ヶ岳方面に行くことがあり、そう気持ちにたどり着いてしまった。
標高が1,500メートル(軽井沢で900メートル前後)くらいあって、湿度が低いところがいい。
具体的に言うと八ヶ岳の登山口が近い原村とかが理想的。
ネットで小屋を検索してみると結構出てくる。海外も含め静かな小屋ブームのようだ。
特に海外はセルフビルドも多い、いいなあそれにも憧れる。
屋根はどうしようか、水は雨水タンクを利用するか、断熱はどの程度やるのか、留守が多い小屋で大事な換気はどの方式が優れているのか、トイレはコンポストか浄化槽か・・考え出すときりがない。
土地は借りてもいいがある程度お金も必要だし、セルフビルドなら手間も必要なので、仲間を集ってみるのはどうだろうか・・
小屋作りなんてサイコーの遊びだと思うのだが。誰か乗らないか?
上野逍遥
友人と連れ立って上野の山に繰り出した。
最終的には一杯やることが目的だが、お題目は一応建物探訪だ。
上野の美術館や博物館はちょくちょく出かけるので、今回は「東京文化会館」と「国際子ども図書館」をじっくり見た。
東京文化会館は外見は豪快かつおおらか、建物内部は雅で華やいだ感じでとても気に入った。完成は1961年、僕らとほぼ同じ世代じゃないか、僕と違ってだまだ色あせず輝いていた。
国際子ども図書館は築100年以上の歴史ある建物で華麗な装飾が美しい。安藤忠雄氏の手によるリニューアルで近代的なガラス部分が増築され、それもうまくマッチしている。
その後芸大のキャンパスをちょっと覗いて不忍の池に降りホントの目的地に向かった。
「池之端藪そば」で一杯・・
のはづだったのだが、なんと店はまさに解体取り壊し中だった。
名店といわれる蕎麦屋の中でも、僕はここだ一番好きだった。
味もさることながら、店のしつらいも品が良く、また客さばきが絶妙で、江戸の粋を感じる蕎麦屋だった。調べてみると昨年休業した後、再開したが今年早々閉店になったとのこと。残念!
仕方がないので、急きょ酒屋探訪になった。
池之端から湯島方面に下るとちょといい雰囲気の飲屋街があった。(やっぱそこは鼻が効くんだなあ)いくつか良さげな店があったが、いかにも正当な居酒屋風の白壁で縄のれんに「奥様公認居酒屋」の提灯を掲げた「岩手屋」に入った。
入った瞬間これは正解だと思った。
年季の入った室内に一生樽がドンと置いてあり、白木のカンターとゆったりとした席の配置になっていた。
まだ夕方の5時過ぎだったが客は6分くらい入ってもり、しかもかなりの年配の方々でいかにも常連さんばかりだった。カンターの向こうにやはり年季の入った白髪のご主人らしき人がいた。(さいわい気むづかしい人ではなかった)
厨房はカウンターの奥に壁を隔ててあり、十分な広さがある感じだ、厨房がしっかり作ってある店は料理がしっかりしている。岩手屋というだけあって「ひっつみ」などそちら方面の料理もあった。
店の営業時間が午後4:00から9:30と書いてあった。客層にあっている。
身のつまった鮎などをアテに東北の地酒を楽しみ、いつしか名店がなくなったのも忘れ杯を重ねた。
しかしやっぱりああゆう店がなくなるのは寂しいことだ。
不忍で そばたぐる音 聞こえたか
「マチネの終わりに」一気読み
作者の平野啓一郎氏の本は初めて読んだ。
「三島由紀夫の再来」と言われ、華々しいデビューをした氏の作品は難しい類のものじゃないかと勝手に想像してこれまで手を出さなかった。
「マチネの終わりに」は毎日新聞に連載された大人の恋愛小説だとゆうので、それなら読みやすいだろうと読み始めた。
確かに大筋は40代の男女の恋愛小説(大人ゆえの切ない悲恋)だけど、運命や国際的な社会情勢、戦争や歴史とか生と死とか重層的なテーマが散りばめられて、そこに作者の考え方が提示されていて、なるほどと思う部分も多々あった。
僕は平野氏が解説をしたピアノのグレン・グールドのCDを持っているが、音楽のほかにも絵画展のキュレーターをするなど氏は芸術に造形が深い。そうゆう基本的な教養が作品を豊かなものにしてる。
新聞に連載しただけあって、ストーリー展開も次はどうなるんだろうと期待させるもので、一気に読み終えた。主人公のキャラもいいが彼が会ってすぐに心を奪われてしまうヒロインが特別魅力的な人物像に描かれている。美貌にめぐまれ知性も人格も申し分ないが順調な人生を送るわけではない、思わぬ巡り合わせで人生は左右される・・・
主人公は、クラシックギターの有名な演奏者との設定で、ギターの演目がいくつも出てくる。たまたま最近若いクラシックギターの演奏者と知り合いになったので、この本を読んでなかったら今度贈呈しようと思う。
そして作品に出てくる曲の中でこれはと思う1曲を演奏してもらうのも楽しいだろう。
三たびの天狗岳
「女心と秋の空」と言うがそれ以上に変わりやすいのが山の天気だ。
下界が晴れてても、山の上では曇ったり雨が降るのはよくあることだし、1日のうちでも天気の変動が大きい。
この7月に赤岳に登った時には、雲に覆われた頂上ではほとんど眺望がなく、下山した頃に晴れ間が広がり、あーあとため息をついた。
夏も終わり眺望を期待して同じ八ヶ岳連峰の天狗岳に登ることにした。
東天狗岳には2年前の夏と昨年の冬にも登ったが、ともにアプローチでは晴れていたのに、稜線に出ると風雨や吹雪で眺望は望めなかったので、こんどこそと期待して出かけた。
9月の中旬、宿泊した標高2,330メートルに立つオーレン小屋(オーレンとは白い可憐な花を咲かせる多年草)にはすでに電気こたつが用意してあった。オーレン小屋は近くの沢の豊富な水流を利用して自家発電をしてほぼすべての電力をまかなっているそうだ。小屋名物の桜鍋の夕食後こたつに入ると小屋番のおじさんが、火災報知器を各所に配していることをちょっと自慢げに話してくれた。
曇り空の朝、天気の好転を期待して天狗岳を目指した。シラビソの樹林帯を抜け、稜線へ出ると、強い風が吹き霧のため眺望は全くなかった。こりゃ2年前と同じかと思いながら白砂の道を風に煽られながら進んだ。ゴツゴツした岩山の根石岳をまたいで東天狗岳に登頂した。目の前にそびえてるはずの西天狗岳は霧のため見えなかったが、せっかく来たんだし登っとこうかと西天狗に登った。
西天狗に登りしばし休憩していると、にわかに雲が切れた。目前に東天狗がそびえ、奥には前日登った硫黄岳や7月に登った赤岳までの眺望が開けた。
急に気分爽快、思わず笑顔になった(多分)
往復コースなので東天狗に戻り、過去2回見損ねた景色をしばし眺めた。
すっきり快晴だと北アルプスや南アルプスまでも望めるはずだが、全く見えないのとは雲泥の差だ、よしとしよう。
「うつり気な 山の天気に 手を合わす」
今回は変わりやすい山の天気のおかげで、いい眺めをを楽しむことができた。
参りました!
9月に入っても東京の気温は30度を越しまだまだ暑い。
とゆうことで今シーズンのランニング初戦は、高原の涼しさを期待して標高1300〜1600メートルで行われる「八ヶ岳ロードレース」に参加した。
会場はスキー場の施設を利用していて、目の前には7月に登った赤岳が雄々しくそびえていた。
雨の予報もあったが、日頃の行いが良いせいか幸い天気は大丈夫だった。
2月のフルマラソン以降あまり走ってないし、足慣らしでと望んだ大会だったが、それは大甘だった。スタートして会場を出るとそこからいきなり2キロの急坂を下る。
「そうか、ここはスキー場だもんね・・」と思ったがもうおそい。
下りはスピードが出るのはいいが、着地の衝撃が強く足が消耗してあとあと効いてくる。特に急坂はコントロールがむづかしい。どうにも止まらない状態で「えい、ままよ」と落ちるように下っていった。
やっと長い下りを終え八ヶ岳横断道路に入るとそれからもアップダウンの連続だった。時折ひんやりした谷風がここちよい瞬間もあったが、レース後半は気温も上がり、完全にバテてしまった。
最後の長い登りではとうとう何度か歩いた。レースで歩いたのは2度目だ。前回は10キロのレースだったが、やはり長い急坂のあるコースだった。(秩父の森)
今年で第37回となった伝統ある八ヶ岳ロードレースだが、エイド(レース中の補給)がなんと水と皿に盛った塩だけだった。さすが質実剛健の山梨県気風だ!(戦国時代か!?)
結果はワースト記録を更新。ただこれはエイドのせいでなく自分の準備不足である。
こんなハードコースはそれなりに走り込んでないと足がもたない。前半つかせてもらったベテランランナーは後半もペースを維持し、僕は途中からついていけなかった。
参りました!
できたら次はエイドにレモンくらいはおいてください。
甲斐大泉「チャンドラ」再訪
清里で開催された「八ヶ岳ロードレース」のハーフマラソンに参加するため前泊した。
宿は清里の隣まちの甲斐大泉にある「チャンドラ」。昔のペンションを改装して1階をライブもできるジャズバー、2階は元からの宿泊施設でオーナーは昔僕が銀座にある会社に勤めていた時の同僚のO君だ。
O君は仙台生まれで東京の会社に就職し15年勤めた後、一念発起してバーテンダーと料理の勉強をして、このジャズバー & INN を2003年に開業した。
彼は同じ会社にいた頃、真面目で礼儀正しく地味なタイプだった。新興著しくイケイケムードの会社で社員も自己主張が強く目立ちたがり屋も多い中、一見気の弱そうでいて上司にも媚を売らないところが僕の印象に残っていた男だ。(僕の部下だったことがある)
その彼が脱サラをしてそんな店を開くとは、すでに退職していた僕が人づてに聞いた時はちょっとびっくりした。それから程なく訪問したのが8年前のことで、その時は大学時代の友人3人でジャズライブのある週末に宿泊した。
久しぶりに会ったO君は相変わらず控えめで丁寧だが、10年以上店を切り盛りしてきた逞しさが感じられた。
夕食は外食でもいいですよと言われたが、一階のバーでいただいた。ヘソ丈ほどのJBLのスピーカーから生演奏のような音でジャズが流れていた。
ライブのない土曜日のバーの客は僕の他は地元の常連客が一人だった。宿泊客はネットの評判などで比較的安定しているようだが、ジャズバーの方は平日では客の来ない日もあるらしい。それでも「バーですから12時までは店を開けてます」と。
バーメニューしかありませんとゆう料理はシンプルだがなかなかうまい。
リーズナブルすぎる値段のボルドーワインを飲みながら、この日は前回聞けなかったこの地でジャズバーをやるに至った経緯を聞いた。
就職する学生の多くがそうであるように彼もまた確固たる信念で会社に就職したワケではなかったようだ。いずれ自分の道を選ぼうと思っていたそうだ。
同僚とワイワイ酒席に交わるとゆうことの少なかった彼は、ある日偶然入ったジャズバーで遭遇したジャズライブに魅了され、その店の常連になりそのうちミュージシャンとも親交が出来たそうだ。その後いろんな縁もありこの地で開業に至ったそうだ。
転職とゆうか、全く違う分野での独立、おそらく大してもうからないことを承知で好きなことを生業にする決意をし、それを実行したO君を改めてたくましいヤツだなと思った。
翌朝、チェックアウトをして「次は間を空けずに寄せてもらよ」と僕が言うと、「それは・・」と彼は答えた。・・は「また機会があればお寄りください」とゆうことだろう。「またぜひ」と言わないところが彼らしいなと思いながらハーフマラソンの会場に向かった。