それも愛

性懲りもない日々をつらつらと

人参に思う

ランチの付け合わせに人参のソテーがあった。

どこか土の香りを感じる人参を口に頬張り、そういえば人参の花ってどんなだっけ?

と思った。

確か大根の花ってのは白だったと思うけど、人参の花は記憶になかった。

オレンジ色?まあそれはないか。

続いての疑問、人参はなぜこんな実をつけるのかなあ、大根にしても・・

タネが入ってるわけでもないし。動物へのギフトか??

そのランチの間結局理由がわからず、おかげでモヤモヤした気分だった。

数日して、そうだあれは根だったと思い出した。(根菜って言うからね)

みもふたもない話だった。

それにしても太い根だ、あいつらよっぽど食いしん坊なのかな。

消費者として生きてるとこんなベーシックなことも知らない(あるいは忘れて)生きていくんだなあ、と思い軽く反省した。

 

 

ラグビー早慶戦2017

11月23日ラグビー早慶戦はなぜか勤労感謝の日に例年行われる。

この頃ちょうど絵画館通りの銀杏並木が紅葉(黄色だが)し、夕暮れ迫る試合後にここを歩くと年の瀬に向かう季節をヒシと感じる。

今年も昨年に続き最後まで接戦だった。今年の慶應はかなり強くて王者帝京大学にもあと一歩だった。でもなぜか慶應は早稲田に弱い。慶應慶應高校など系列校からに部員が多く、エリート然としてそれはそれでカッコいいんだけど、最後は早稲田の雑草魂に根負けするのかな・・

秩父宮ラグビー場はほぼ満員、このカードは入場料の設定も格上のトップリーグより高い、なんかおかしいと思いながら協会のドル箱ゲームだから仕方ないかと、毎年足を運んでいる。

慶應OBの応援は品がいい、前の席にいた慶應OBたちは校歌斉唱もきちっと立って歌い、早稲田の校歌も立ったままで聞いていた。あのうるさい明治OBと対照的だ。

早稲田はその中間ぐらいか、僕も一緒に観戦した先輩もズボラに座ったまま歌う。

早稲田が残り10分で逆転し、そのまま2点差を守りきった。途中怪我で交代した早稲田の1年生が松葉杖姿で嬉し泣きしていたのが印象的だった。

早稲田OBとしては勝ちは嬉しいが、まだ帝京の背中は届いても越せないかな・・

ともあれ、好試合だった。12月から始まる大学選手権でまたまみえるといいと思った。

 

人生最初の関門

朝の公園で、小学校低学年くらいの男の子とその子のおじいちゃんらしき男性が鉄棒をやっていた。男の子が逆上がりをできるように練習してるようだった。

僕にも覚えがある、コツを覚えるとなんでもないのだが、最初は少してこづった。すぐできた子もいて、すぐにはできなかった自分が恥ずかしかった思い出がある。

公園の男の子もなかなかできないで、だんだんイヤモードに入っているようだった。

おじいちゃんがやって見せた、得意そうな顔をした。(笑い)

その子は今日は無理かな〜、でも突然できるようになるんだよ。

人生最初の関門かもしれないが、少し苦労してからできるようになるのもいいと思った。

ルオーの顔の絵

汐留にあるパナソニックミュージアムに出かけた。

フランスの画家ルオーの収集で知られる美術館だが、今回の企画は、「ルーオーとカンディンスキー」あまり類似性の感じられない両人だが、世代も近く同時代の美術界においてそれなりの交流や影響があったそうだ。

僕の大好きな画家クレーの展示も結構ありラッキーだった。両人の後輩に当たるクレーはカンデンスキィーからデザイン的な抽象画の要素をルーオーからは色彩の面白さを受け継いだにかもしれない。

今回特に印象的だったのは、ルオーの人物がうち、顔のクローズアップの絵だった。

全身や半身ではなく、ほぼ顔だけでこんなにインパクトや奥行きを出せるんだと驚いた。

ルオーは絵具超厚塗りで描いたキリストなどが有名だけど、若い頃からいろんな画風の変遷があったのがわかった。晩年は宗教的な主題の画に傾倒してたようだが、人間の暗い面や悪を感じさせる人物画に惹かれた。多彩な色彩で複雑な人の内面の表現にチャレンジしたのかな。

かなりアクの強い画風だけど、フランスでは最上位の評価を受け国葬になったとのこと。さすがアートの国だなあと思う。

 

源氏物語を読んでみた

田辺聖子版の「源氏物語」を読んだ。現代語訳はたくさん出ているが、やはり女性が書いたものがいいと思ったし、全5巻と手軽だったせいもある。

田辺氏の柔らかな意訳が上手なせいかスイスイ読めた。六条御息所が葵の上に取り付くくだりなどはドキドキしながらページをめくった。

主人公の光源氏始め男たちは類型的であまり魅力的ではない。それぞれ気性の違いはあっても、所詮一番の優先事項は出世と女だ。登場人物で唯一関心できるのは、変わり者の明石の君の父親くらいだった。(大願のため全てを尽くす)

それに比べれば女性たちはそれぞれの個性・生き方の違いがよく描かれていて興味深かった。

嫉妬に狂う女、気位が高く本心を表せない女、気はきかないが一途で純な女、ひたすらよき妻(もしくは恋人)としてふるまう女・・・

その後読んだ瀬戸内寂聴の「源氏物語の女たち」によると男性に人気があるのは、朝顔の君と紫の上とのことだった。どちらちょっとはかなげな美人でかつ男に尽くすタイプで、今の世でも確実にモテるタイプだろう。

僕は、朧月夜の君が魅力的だと思った。立場のある身ながら源氏との危険な恋に積極的に身を投じながら、最後はさっさと出家してしまう。情熱的でかつ精神的に自立した女性だと思う。

あとはエリート官僚の源氏や頭中将を手玉に取るセクシーおばさんの源典侍が痛快だ。

仕事ができて教養もあり、しかもいつまでたっても肉食系の元気女子のキャラが現代的だが、そんな女性が1000年前の日本にもいたんだなと思った。

この世の栄華を極め数々の華やかな女性遍歴を重ねた光源氏だが、年をとり引退後最愛の妻を無くすと、すっかり気力もなくなり程なく雲隠れしてしまう。「もののあわれ」と言うより、男とゆうものの弱さが感じられ、そうゆう年代に差しかかった自分を省みて少々心もとなく感じる、そんな読後感だった。

コミュニケーションの手段が和歌中心の時代なので、文中に和歌ががたくさん出てくるが、今ひとつ意味がわからないものが多かったので、次は和歌の解説が詳細だという瀬戸内寂聴版を読んでみようと思う。

 

 

 

自転車とバナナ

最近試していることが二つある。

週一回の自転車通勤と、バナナを平日一本食べること。

家からオフィスまで10キロメートル、自転車で時間にして30分弱。疲労を感じるちょっと前くらいのちょうど良い感じの運動だ。

今は、通勤経路を探るのが面白い。車と違って走れる道が格段に多いので、信号や車や人の数など走りやさを考慮してベストルートを開拓中だ。

 バナナは改めて食べると結構うまい。会社の冷蔵庫に入れてるので、よく冷えていてアイスのようで爽快感があるのかもしれない。

バナナはカリウムを含み高血圧にいいと聞いた。僕は以前行った病院で血圧降下剤を飲むかどうかギリギリの線ですと言われてそれ以来、その病院に近づかないようにしてるので、まあ薬代わりとゆうわけだ。

自転車は週一ってのがみそだ。これが毎日行かなきゃならん、となると早晩燃え尽きる気がする。週に一回のお楽しみなので続けられる気がしてる。

バナナはきっとそのうち飽きるだろう、その時はまた違うものを考えればいい。

 

ゆきさんのこと

今はもうなくなってしまったが表参道にハナエモリビルがあり、その地下にさなざまな骨董屋が居並ぶアンティークマーケットがあった。

その店の一つが「ゆきむら」だった。10年ほど前上品なたたづまいの店に引き込まれるように入ると、細身の女主人・村上ゆきさんがいた。いちげんさんでしかもその世界に全く素人の僕に丁寧に対応してくれた。それから年に何点か気に入ったものを購入するようになった。骨董と言っても江戸時代とかのそれなりのものは手が届くわけなく、戦前のまだいい職人がいた頃の香炉とか竹細工の花器や朱塗りの食器とかだ。

ゆきさんはたいした買い物をするわけでもない僕をなぜか気に入ってくれたみたいで、顔をだすとお茶をだしいつも機嫌よく、品物の話以外にもいろんな昔話などもしてくれた。

ゆきさんが故郷の京都にいる頃、僕の故郷の福岡まで汽車で行った時のこと。

その後、青山学院に入学し、神宮外苑で行われた学徒出陣式に行ったこと、などなど。

断片的に話を聞くとどうやらご主人を戦争で無くしているようだった。戦後女手一つで表参道で骨董屋を切り盛りしてきたそうだ。(新参ものの女性で、いかにも古いしきたりのありそうな業界で苦労したことは想像にかたくない)

店に置いているものはゆきさんの好みで、上品なもの多かった。キワモノとゆうかえぐい感じのものは嫌いですと言っていた。時々店で会う馴染みのお客さんは立派な風体の人が多かった。(大学の教授とか)

店にはもう一人長谷川さんとゆう男性がいて、話をすると僕の大学の少し後輩で、学生時代にアルバイトで店にきていて、そのまま店に就職したとゆう変わり種だった。

長谷川くんは言葉少なな青年だったが、ゆきさんを尊敬し敬慕している様子が見て取れた。その後ハナエモリビルが建て替えになり、アンティークマーケットも姿を消し、店は移転したがお店(ゆきさんと長谷川さん)との付き合いは続いた。

ゆきさんは90歳で長谷川さんに店を譲った。ゆきさんの家は原宿にあり、一人暮らしのゆきさんの家を長谷川さんは毎日のように訪れ、なにかと面倒を見ていたようだった。時々街で、長谷川さんが少し体が弱ってきたゆきさんの手をとって歩く姿を見かけたものだった。

ゆきさんは今年、誕生月の2月、誕生日を迎えることなく亡くなった。93歳だった。

亡くなったあと長谷川さんに聞いて驚いたのだけど、ゆきさんのご主人は旧日本軍の軍医だったらしく、国外で捕虜収容所の所長をしていて、日本にゆきさんと引き揚げてきたのち、いわゆるBC級戦犯で有罪となり刑死されてたのだった。(長谷川さんはこの話を僕にする前に「おかさん、○○さんにこの話をしていいよね」と天に向かって声をかけた。プライベートではおかあさんと呼んでいたんだ)

ゆきさんはいつも朗らかな人だったが、どこか凛としていて奥に強い何かをひめている感じがしていたが、そんな苛烈な人生を歩んだのかと改めて感慨を覚えた。

ぼくは「ゆきむら」からゆきさん好みだった小村雪岳の版画2点を購入しているが、そのうち「蛍」に描かれた和服姿の細身の女性をみるとゆきさんのことを思い出す。