透けて見えたオリンピックの価値
デザインのことは門外漢だけど、グラフィックデザイナーとゆう佐野氏がなにをしてきた人とゆうのは過去の仕事を見ればわかる。
おおむね商品広告のグラフィクデザインをやってきた人だ。
昔風に言えば広告屋のペンキ塗りってとこか。
それが悪いとゆうつもりはない。素敵だなと感心するコマーシャルも多々ある。
ただ基本的に物を売るための仕事をしてきた人で、それが得意な人なんだろう。(多分)
そこでだが、オリンピックのシンボルデザインは商品広告と同列なのか?と思う。
多くの人にメッセージを伝える必要のあるところは同じだが、伝える物自体は一般的商品とはだいぶ隔たりがあるんじゃないかな。
本来的なオリンピックの意義や日本の国柄を表すデザインは本来もっとアート寄りで深い価値観が必要だと思う。今回の対応を見て佐野氏にそんな哲学があるふうには到底思えない。(パクったかどうかは別にして)
コマーシャリズムの世界(コンペのやり方など)で起こった今回の騒動は、いまのオリンピックが商業ベースのイベントにすぎないことを皮肉に現したんじゃないかと思う。
まあ、そうゆうふうに割りきってお祭りを楽しめばいいんだろう。