不惑のスクラム
原作の小説は2年くらい前に読んだ。
死に場所を探していた人生のドン底にいる主人公が、たまたま遭遇した草ラグビーによって立ち直っていく物語だ。
まあ公式通りの再生物語ではあるが、ストリーはよくできていてラストも爽やかで読み心地の良い佳作だった。
髙橋氏は、学生時代のラグビー経験者でいつかラグビーに関わる作品をやりたかったらしい。ショーケンは番組発表会見で「私の役は途中で死にますが・・」とネタバレし相変わらずいい味出している。
ところで学生時代に経験したスポーツを大人になってまたやる人と機会があってもやらない人がいる。
案外レベルの高いところでやってた人の方がもうやりたくないと言うことが多い気もする。理由は練習がきつく(あるいは旧態依然の部活のあり方が)嫌いになったか、もう昔のレベルではできないのが嫌なのか、どっちかだろう。
それで考えてみたんだけど、では若い頃にやってた時には思い通りにできたのだろうか?
おそらくはそうではなく、自分よりうまい奴らがいっぱいいたし、試合では悔しい思い出の方が多いだろう。
「不惑のスクラム」のように不惑(40歳)すぎてやるとなおさら思い通りにはプレーできない。あるいは仕事や家庭の事情で制限されることもあるだろう。でもそこに自分の中にそのスポーツに対する情熱が感じられるのであれば、本質的に若い頃と同じなんじゃないだろうか。
話を変えれば、人生も歳をとって思い通りの人生じゃないと嘆息することもあるが、昔から思い通りになることは少なかったはずで、今何かしら情熱を持てるものがあれば、それは若かった頃と同じように幸せなことじゃないかと思った。