舞台「走る」を観て
池袋のサンシャイン劇場で、倉本總脚本の作品を観劇した。
若い役者が舞台を駆け巡る、といってもただ走り回るのではなく、いかにも走っているように見せるその場走りを繰り返しながら・・これはずっとジャンプしてるようなもので、体の消耗は相当激しい。その状態で観客にセリフをニュアンスまで伝わるように発するのはかなりの鍛錬がいるはずだ。まるでマラソンの選手のように鍛えられた体の走りをいろんな角度から見せる演出は、臨場感と躍動感があった。
作品では走ることと人の人生を重ねており、ランナーたちはそれぞれ長いレースでおこるさまざまな苦難に立ち向う。自己との戦いにくじけそうになったり苦痛に耐え必死に立ち向かっていくランナー達の姿を描く。
一人だけランナーではないリタイアした元企業戦士が登場する。
戦後の日本を必死に走ってきた団塊の世代の男性で、倉本氏が属する世代の男性像だろう。
この男性は仕事に人生の大半をささげてきたのだが、妻に先立たれ、娘とも自ら疎遠な関係をなし寂しく過ごしている。これまでの人生をふりかえり、これでよかったのかと自問するのだが、最終的には精一杯生きてきた自分を可とし、娘との和解を望む。
終盤ランナーたちは苦しみながらあるいは傷つきながらゴールしていく。
途中リタイアし救急車で搬送されたエイズの男のシューズを娘の伴走者としてレースの参加していた男が手に携え、ゴールしたシーンが心に残った。彼の魂はゴールしたのだ。
僕にはこの話は倉本氏の人生の自己肯定の物語に思えた。
苦難に耐えながら精一杯走ることが人として美しいのだ、私もそうして生きてきた。
そうぼくには伝わってきた。
劇中、一組のカップルが登場する、男は理屈が歩いてる(今回は走っているか)ようなやつで、彼女はこの男の後について走るのを最高の喜びとしている依存心の強い女だ。
ところがこの頭でっかちな男は途中で不調となり、ペースを落とし一緒に走ろうとする女を説得のうえ先に走らせる。結局女は颯爽とゴールし、男はヨレヨレになりやっとのことで完走する。本気をだした女にはかなわない!
これは「人生理屈じゃないよ」言いたいのだと解釈したが、結局目標に向かってひたすら走ることが是とされるようであまり好きではない。
この舞台でまさに描かれていたが、戦後世代が必死に走ってきたおかげで物質的には豊かになった。しかしディスコミュニケーションでバーチャルの世界に閉じこもる若者が増大する時代に心の豊かさは感じられない。これからはむしろ無理のないペースで走ったり、時には立ち止まることを学ぶべき時に来ていると思う。同じ価値観で一つの目標に大多数が向かっていく社会は異常だとそろそろ気づくべきだ。
僕もランニングをしておりレースでは少しでも早く走りたい気持はわかるが、ゴールだけが目的ならそれは結局お金だけが目的のビジネスと変わりない。ビジネスも成長神話に頼るのははもう無理だ。
走ることそのものを楽しむ、周囲の風景を楽しむ、沿道のお年寄りや子供の声援に笑顔で答える(美人の応援にはハイタッチ!)ことが走ることをより豊かな行為にすると思う。
そんなことを言うと軟弱ものといわれるだが、軟弱でなにが悪いのか?軟弱でも弱い者の味方もできるし、ゆっくりでも時間をかければ結構進むものだ。
「走る」は演劇にスポーツの要素を取り入れ肉体の持つダイナミズムを表現しインパクトのある演劇を実現したが、提示された価値感はややありきたりのものだったのが見終えた僕の完走いや感想だ。
京都途中下車
年末に北九州に帰省するのに早割り航空券がとれなかったので、ひさしぶりに新幹線で帰ることにした。ではと思いつき、京都で途中下車した。
京都で学生生活を過ごした知人から「年末の京都も年の瀬の風情があっていいですよ」と聞いたことがあったし、ちょっとまえに川上弘美の京都を舞台にした切ない短編「ぞうげ色で、つめたくて」を読んだこともその気にさせたのかもしれない。
今回は有名どころの名所旧跡には行かず、市中をぶらぶらした。
京都にはここ10年くらいほぼ毎年来てるので、有名どころはおおむね行ったのかなと思う。
こないだ友人から「京都のどうゆうとこがが好きなの?」ときかれた。具体的にいくつがあげることもできるけど、なんとなく居心地がいいってのが正確なところだろう。恋愛でもいっしょにいるとなんとなく楽しいってのが長続きするように・・
まづ聖徳太子創建と伝えられる六角堂(六角形の木造のお堂で隣のビルの上層階から眺めると正六角形の屋根を眺めることができる)にお参りした。ここには京都の中心を示す「へそ石」がある。六角形の石の真ん中に丸い穴があいている、なるほどへその穴と言うわけか(笑)隣には代々この寺の住職を務める池坊が始祖になる華道の池坊会館がある。
六角通りを一本下り(南にいくこと)蛸薬師通りを新京極方面に歩き、蛸薬師に。蛸のいわれはいくつかあるようだが、お堂にある木彫の蛸にさわると無病息災のご利益があるとのことで地域の人気を集めている。なお蛸にはなぜか左手でさわることとなっている。ぼくはこの12月に額をぶつけてちょっと怪我をした(無論酔ったうえでのことです)ので蛸の頭を入念に撫でておいた。
四条大橋の真ん中からお決まりの鴨川の上流鞍馬方面を撮っていたら鳥の群れの往来に遭遇。こんなことは初めてだ。鳥は来年の干支、これは吉兆か!
風情ある石畳の祇園白川を回り、四条通に面した細い路地の奥にある喫茶店にはいった。京都は喫茶店の街でもあるらしいが、ベテラン夫婦でやってるここのコーヒーもおいしかった。時々カウンター脇から飛び出してくる人懐っこいシーズーの親子もお愛嬌だった。
夜は京都に出かけると大体寄ることにしてるお店「楽菜」に。モダンでこざっぱりした居酒屋さんってとこか。親子二人でやっていて、色白でイケメンの息子さんが調理担当、ちょっとお公家さんっぽい顔立ちの親父さんがカウンターに立つ。この親父さんが飄々としたいい感じで、時々ちいさな親子喧嘩を漏れ聴くのも恒例のようでよろしい。この日は蕪蒸しやテッパイ(蛸と九条ネギの和えもの)などを伏見の酒「松本」を飲みながらいただいた。おいしくてしかも価格はとてもリーズナブル、いつきても「あいてて良かった」って気分になる店だ。
そんなことで京都途中下車、余は満足であった。
これは癖になりそうだ。
ファンに勇気をあたえる試合だったが
トヨタカップの決勝を観戦した。
世界のレアル・マドリッド vs 鹿島アントラーズ(多分日本以外では無名)
試合は予想に反してアントラーズが大健闘!
イケメンJリーガーの柴崎が2ゴールを叩き込み、一時は1:2でリードする試合展開。
レアルのジダン監督もピッチ脇でまさに地団駄を踏んでいたところだ。
結局延長戦にもつれ込み真打のR・ロナウドにハットトリックを決められ破れはしたが、アントラーズの最後まで諦めない姿勢はまさに見るものに勇気を与えうる試合だったと思う。
延長戦までスピードの落ちないアスリートたちのフィットネスの高さにも感心した。
盛り上がったゲームはさておき、この日のMVPのC・ロナウドはチーム年棒だけで60億円と聞く。試合前には彼の出ている健康器具のCM(腹筋シックスパック!のあれね)も液晶ビジョンに流れた。
ご招待いただいといてなんだが、僕の席のチケットも購入すれば数万円するだろう・・
試合にケチをつけるつもりはサラサラないが、スポーツの世界もしかりの商業主義が蔓延する世を過ごしてるんだな、とワクワクした気持ちと裏腹の思いが交錯した。師走の底冷えるスタンドで。
NHK ”虞美人草”殺人事件 これはアタリだった
NHKの再放送で夏目漱石の「虞美人草」を深読みする番組があった。
虞美人草は東大を退職した漱石が朝日新聞に連載した初めての作品で、主人公の女性「藤尾」が謎の死をとげて終わる小説だ。(僕は読んでませんが)
その謎を漱石ゆかりの日本旅館で読書会みたいなノリで読み解く企画で、出演者は島田雅彦(漱石の文学論の新書も書いている)、斎藤環(オタクやヤンキーの考察の本で売れた精神科医)、岩井志麻子(夫の他複数の愛人がいることを公言しいている元気なおばちゃん小説家、名前も岩下志麻のパクリだし面白いけどなんでこの人出てるの?)そのほか知らない人数名。
この知らない人の中に「小倉千加子」がいて、この人の深読みにとても感心した。
ヒロインの「藤尾」とゆう名前に込められた意味に始まって、重要な登場人物の一人がロセッティ(イギリスの詩人・画家)の詩集を持っていた点に注目し、この藤尾を裏切ることになる人物に漱石自身が投影されていること(漱石はロセッティの属していたラファエル前派に影響を受けているとされている)、さらにラファエロ前派の絵画の最高傑作と言われているミレイの「オフィーリア」(これは僕も見たことがあるがまさに傑作)への連想から主人公の死を暗示していると持論を展開した。
これには「そろそろお酒でも欲しいですね」なんて言って自身満々で臨んでいた島田雅彦も「お、やるな・・」てな顔を見せたとこも面白かった。(島田雅彦ってスタンスは好きで本もいくらか読んでるけどいつもイマイチ感がある、まあそこも愛嬌で芥川賞をナゼかとれなかった作家と言われるだけのことはある)
この番組中小倉千加子おそるべしの感があり、早速調べたらジェンダー論で結構有名な方らしく、「松田聖子論」などの著書もあった。とりあえずこの本は読んでみようと思う。
NHKならではの企画で楽しめた。昔「教育放送」でやってた系のものをエンターテイメント化した感じだった。
それにしても本は深読みするべしだな〜。
ラグビー早明戦2016
友人らと連れ合って大学ラグビー対抗戦の早稲田VS明治 を観戦した。
恒例だった国立競技場が建築中なので、昨年に続き秩父宮ラグビー場での開催となった。
いっときは6万のキャパの国立でも満員になった人気のカードなので、2万人がキャパの秩父宮は当然のごとく満員御礼だった。これはOBとしては嬉しい反面、一ラグビーファンとしては、もっとレベルの高いトップリーグの決勝やジャパンのテストマッチですらなかなか満員にはならないラグビー人気を考えるとちょっと複雑な気がする。
以前からそうだが早明戦は明治の方が応援が多くて熱い。早稲田OBからすると時には「うるせーなー」と思うこともよくあった。ただ会場の器が小さくなったせいか明治の応援も以前よりおとなしくなった気がして、それはそれでちょっと物足らなかった。
試合の方は白熱した好試合だった。最近ラグビーは戦術的に以前より格段に高度になっているし、選手の体格も昔とは著しく違う。今やトップレベルの高校生選手なら昔の大学のトップレベルの選手より鍛えられたたくましい筋肉をまとっているだろう。
興味深かったのはかってはFWの明治、BKの早稲田だったのに、今年のチームは真逆だったことだ。明治が華麗な展開ラグビーをし早稲田はスクラムで押した。
伝統にこだわらず勝つためのラグビーを追求しチャレンジする姿勢は正しいと思う。
スポーツの面白いところは、戦術が進歩し、フィットネスも向上しても、単純なスキルのミスや、判断ミスが起きるところだ。そこから思わぬ展開になりかえってスリルある試合になったりする。
この日も残り4分から逃げ切り作戦に入った早稲田が残り1分でイージーなミスをして、そこからまた明治がペナルティーキックで逆転できるのにをトライを取りに行き、結局早稲田が逃げ切った。(スクラムで認定トライを取られた屈辱を返したかったのか・・)
伝統の一戦が盛り上がるのはいいことだ、さらに日本ラグビー界全体が一層沸き立つことを願いながら勝って嬉しい祝勝会に出かけた。ラグビーはアフターマッチも大事なのだ!
ベルギーから来たジェントルマン
今日は朝からヤラかしてしまった!
運営している貸音楽スタジオ(主にピアノ)の予約時間を間違えてお客を30分も待たしてしまったのだ。
相手は初めて利用する客で、おまけにあまり聞いたことのない綴りの名前の外人さんだった。
原宿駅からダッシュし地下にスタジオのあるビルに飛び込み階段を降りると、防音ドアの前にあるデスクで長髪の男性がノートパソコンを広げていた。
ソーリーソーリー ! と遅れたことを詫びると、全く嫌な顔ひとつしなかった。
長身痩躯で芸術家とゆうより落ち着いた理知的な感じの男性で、聞くとベルギー人だった。
予約のメールでは漢字を使っていたし(変換はあるとしても)、日本語会話も流暢なので、日本在住か?と聞くと20回以上来ているが住んではいないとのことだった。
もちろん料金は割引したが、利用終了後退出時にあらためて詫びたら、「ピアノの音が素晴らしく、今日は大変楽しい時間を過ごせました。また日本に来た時は是非使わせてもらいたい」と言われた。
なんてジェントルマンなんだ!こんなひともいるんだなあ・・ちょっと感動。
俺もできる範囲でひとへの気遣へができればいいと思ってはいるが、まだまだだなあと思った。
後で調べるとプロの演奏家ではなく、情報工学の研究者のようだ、パリにあるナントカ研修所に所属する。(ピアノが趣味の先端時術研究者か、かっこいいな!)
ベルギーとゆうとビールくらいしか頭に浮かばないが、ああゆう人物に会うといい国かもしれないと思ってしまう。機会があれば寄ってみよう。
今晩はベルギービールでも飲もうか、ありがとうMr. バナ。
ランチにYOUR SONG
霜月というだけあって、急に寒くなった。
事務所を出て、指先の冷たさを感じながらランチにいつもの店に行った。
欅並木の紅葉がすすむ表参道から少し脇に入ったところにある日本茶の美味しい店。
日替わりの豆腐ハンバークセットをオーダーし、暖かいお茶をすすりしばし待つ。
BGMでエルトンジョンの「your song」ピアノのインストルメンタルが流れていた。
やっぱりいい曲だなあ、ちょっと内省的になる季節に心がほぐされる曲だ。
エルトンジョンの中でも一番好きだな。この曲は詩もいい。
僕の作った君の歌 〜
How wonderful life is while you are in the world.
「あまかおり」と名付けられた日本茶を買って、お店が並ぶ通称キャットストリートを歩くと、
クリスマスツリー発見!
もうそんな季節になってしまったか、
もうすぐ街はイルミネーションだ。