それも愛

性懲りもない日々をつらつらと

夏休みの宿題

朝から晴れ上がった今日は、蝉の声が一層にぎやかにに聞こえてくる。

学生たちの夏休が始まったと聞いて子供の頃の「夏休みの宿題」のことが頭に浮かんだ。

 

小学校のとき夏休になると親から言われて午前中は勉強や宿題をして、午後に遊びに出かけることにした。(普通だね)初めの数日はその通りやるのだが、すぐに1時間が30分になり、そのうち15分もすればいそいそと虫とりの用意を始めたりするようになった。そのうち朝から友達が遊びの誘いに来るようになるので、まもなく午前中の勉強のことは置いてきぼりとなった。

そんなことだから、夏休みの終わりには宿題が溜まっていて、慌ててやるのだが、結局やり残したまま始業式の朝をむかえ重たい気分で登校する羽目になった。

 

そんな夏休みが続くと、さすがにこれではいけないと作戦を考えた。

夏休が始まったら始めの数日は遊びは我慢してとにかく7割方宿題をすませるのだ。(多分、難しい問題や時間のかかる課題は後回しにしたのだろう)

どうせなら全部やればいいと思うが、それができたなら今頃ひとかどの大人になっていたかもしれないし、まあ小学生らしくていいじゃないかと思う。

 

この作戦はうまくいった。数日我慢すればあとはしばらく朝から日が暮れるまで心置きなく遊べる。

親に「宿題しとるんね?」(北九州の言葉)と言われれも「しとるよ!」と答えられる。

そして夏休みの終盤になり、ひと頑張りすればなんとかやり終えることができた。

 

考えてみればこれはスタートダッシュとゆうことで理にかなったやり方だ。

動機が「遊ぶこと」であっても学びと遊びの両立は一応できている。

学校の先生も「こうゆうやり方もありますよ」と生徒に教えてやってもいいんじゃないかと思うが、多分採用されないだろう。(笑)

 

 

 

 

僕のベストホテル

昨日仕事の関係で六本木のリッツカールトンのロビーで人と待ち合わせした。

ミッドタウンにあるこのホテルに行ったのは初めてだった。

ロビーが45階にありしかも3層分の高い吹き抜けになっていてとても開放感があり贅沢な作りだった。

打ち合わせが終わり、ひとりになって「そういえばあそこのリッツはよかったなあ・・」とフト思い出した。

もう20年以上前、かっての同僚をたづねてロサンゼルスに行き、そこからサンディエゴまで車で出かけた途中で滞在した「リッツカールトン・ラグナニゲル」とゆうホテルだ。

まずロケーションがすばらしかった、画廊などが並ぶ瀟洒なリゾート地の海岸沿いの道路を登る海に面した断崖の上に建っていた。

入り口を入りこじんまりしたレセプションでチェックインを済ませて、仄暗い低めの天井の長い廊下を歩いて行くと・・明るい天井の高い開放感あるロビーに出た、そこから一面の海が見渡せた。その設計上の演出にいたく感動した。

もう二度と行くことはないだろうが、あそこが僕のベストホテルだと思う。

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検索したらあったホテルの画像、やっぱりすばらしい!

かれいなる朝

しばらく炭水化物制限を続けていたので、2年位うどんやラーメン、カレーライスなどはほとんど食べてなかった。(蕎麦は特例でOKにして)

それが今年の春先から筋トレを始めて、タンパク質だけじゃなく炭水化物も取らないと効率的に筋肉をつけられないとモノの本で読んだので、以来それなりに食べるようにしている。

とくに封印していたカレーを朝よく食べるようになった。

朝カレーはいっときイチローで有名になったが、成分のターメリックや生姜で体があったまっていいらしい。何より僕は昔からカレーが好きで、学生時代は自炊でカレーを作った時にはいっぺんに2合くらい平らげるのが普通だったくらいなので、最近では朝メシが楽しみだ。(さすがに今は2合は食べれません)

いつくか試したがあまりしつこくないスープ状のグリーンカレーのレトルトが気に入ってここんとこ毎朝食べている。

先日体重計に乗ると一番痩せてた2月比プラス3キロになっていた、でもこれで標準体重なので、当面これをキープできればいいかと思っている。

冬には、またランニングを増やす予定(東京マラソンに当たるといいな)なので少し痩せるだろう。

夏は緩くいきましょう!

八ヶ岳は今日も〇〇だった

八ヶ岳の主峰、赤岳に登った。

赤岳は登山口への交通アプローチがよい。山小屋が登山口、中腹、山頂付近にもある人気の山だ。

が、なぜかこれまで僕は登ったことがなかった。そのうちにで、行きそびれていた。

納車されたばかりの広島カープ赤ヘルカラーの車で諏訪南インターを降り、美濃戸口に向かった。途中、道路脇に植えられたラベンダーが涼しげだった。

美濃戸口の登山口から3時間ほど林道と沢沿いの登山道を歩きその日泊まる赤岳鉱泉についた。時間的にはもっと高いところにある山小屋まで登るのも可能だったが、前から評判の良い赤岳鉱泉には一度泊まりたかった。

金曜日ですいていた山小屋は快適だった。沸しの鉱泉風呂はきもちよく、談話室やトイレなどの設備も山小屋ではトップクラスの充実ぶり。食堂では大きめの液晶テレビに大相撲が映っていた。

そしてなんといっても驚いたのは、夕食。スープはお代わり自由のポトフでメインはなんとステーキだった。このステーキがうまかった!その日はNHKのローカル局が山小屋の取材に来ていたが、みんな夕食のステーキを絶賛していたようだ。

夜空は曇っていた。2年前に同じ八ヶ岳の本沢温泉で見た星空がすばらしく、今回も期待していたけど残念!

食堂で長野産のワインを飲み早々に寝て、朝4時前に起きるとシトシトと雨の音が聞こえていたが、出発前にはなんとか雨は上がった。

赤岳鉱泉から地蔵の頭に向かうタフな急登を2時間ほどでやっと登りきり尾根に出ると、雄大な赤岳が顔を見せていた。森林限界を越えたガラ場の荒々しい景色の稜線で可憐なコマクサやギキョウなどの高山植物の花が出迎えてくれた。

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2,899メートルの赤岳山頂に登頂したとき少しだけ空に晴れ間が覗いた。南の方角の富士山の上のほうだけは見ることができたが、周囲の八ヶ岳の山々は雲が覆っていた。

岩場を慎重に降りて阿弥陀岳との間のコブのような中岳を上り下りし、沢沿いに下山。中腹にある行者小屋に着く頃には晴れ間が広がっていた。

山小屋の前にはベンチやテーブルが並び、たくさんの登山客で賑わっていた。3連休の初日で広いテント場も一杯だった。目の前にそびえる赤岳をあおぎ見ながら缶ビールをぐびり、あぁ上で晴れてほしかったと胸のうちでつぶやいた。(山の天気は乙女の心のように変わりやすいのだ)

下山ルートは雨でぬかるみ、すべる土と石に足は消耗した。森には苔の絨毯が静かに広がっていた。

原村にあるノンビリした感じの村営の温泉施設でさっぱりと汗を流し、施設内の食堂でお蕎麦を食べ帰路についた。

八ヶ岳の山に登ったのは4度目だったが、頂上での眺望は今回を含めいづれもイマイチ。山のテッペンでのパノラマビューと満天の星空を期待して、この秋の八ヶ岳にまたチャレンジしたいと思う。

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「三たびの海峡」を読んで

「相手の立場になって考えろ」とよく言うが、実際はなかなかむづかしい。

以前足を怪我して少しの距離だけど、街なかを車椅子で移動したことがあった。その時坂道を登っていて、もし何かの拍子で後ろ向きに車椅子が下りていったらと思うと怖かった。車椅子で生活している人は日常的にもっと怖い思いをしているんだろう、とその時初めて想像できた。

 

日本と韓国の不幸な時代に起因する出来事を描いた小説を読んだ。

 

書いたのは日本人(北九州在住の医師)で、小説の主人公は韓国の寒村から対馬海峡を渡る船で強制的に北九州の炭鉱に連れてこられた韓国人だ。戦後生まれの作者本人には責任はないが、心情的には加害者側(日本)の立場の人が被害者側(韓国)の立場に立って物語をこしらえたわけだ。

物語の前半では恐ろしいほどの非人道的な強制連行・労働が非常にリアルに描かれているが、単純に悪者・日本人、被害者・韓国人の構図で全てが書かれているわけではない。

おそらく相当な量の取材をしたに違いないと推察されるその作品には、様々な立場の日本人、韓国人、もしくはハーフの人々が登場する。

 

個人的に特にショックだったのは、小説の舞台になる炭鉱街が僕の生まれ育った地区にあった炭鉱をモデルにしていたことだ。

懐かしい地名や目に浮かぶ風景が登場する。強制連行・労働は知識では知っているが、生まれ育った地区がその舞台であったとは・・なにか体に刺さってくるような感じがした。ストーリーはフィクションだが、下敷きはノンフィクションで実際の出来事やそれに近いものだろうと思われる。

そして僕が子供の頃遊びで登ったあのボタ山その場所が運命的かつ悲劇的なラストシーンの場所だった。(ラストは完全にフィクションだが)

 

映画にもなってるらしいので、一度観てみたいと思う。

またこうゆう作品を演劇にして、日韓両国で上演できれば意義深いと思う。(もちろん単に反日とかゆう意味でなく)

 

 

 

 

 

やっぱ生でしょ!

数日前に渋谷のジャズバーでライヴで聴いた。

30席くらいの小さなお店なので、客席と演奏者とが近く、音とともにプレイヤーの表情や体の動きもはっきりとわかるので、生演奏ならではのグルーブ感を楽しんだ。特にジャズはノリが大事なので、ライブが一番だ。

最近、音楽や演劇、スポーツ観戦などライブエンターテイメントの観客数が伸びているそうだ。

それは思うにバーチャルが日常的に生活を侵食している反動じゃないかと思う。

みんな無意識に生でリアルな体験やコミュニケーションを求めているかもしれない。

そう考えると、山ガールとかカフェブームやシェアハウスなどもそんな現象の中に含まれるような気もするが、どうか?

手軽で便利なので僕も利用しているが、LINEがコミュニェーション手段として大流行中だ。

手紙なんていまどきの子はあまり書かないだろうから、ラブレターがわりにもなっているんだろう。でもなんだか、LINEで彼女と会話して、うれしがったりしているとするとなんだかつまんねえなと思う。

もう遠い昔話のようになってしまったが、好きな彼女に会いたくなり急に押しかけて行って、意を伝えたりふられたりした頃が懐かしい気がする。

やっぱ生でしょう。僕はネットの列車には乗り遅れたようだが、これからはもっとリアルを楽しもうと思う。

 

 

 

ママチャリ化計画

僕の自転車はいわゆるロードバイクってやつだ。

ドロップハンドル、フレームはクロモリ(鉄にクロムなどを添加した合金)で細身、色は小豆色でちょっとクラシカルな雰囲気がある。

こうゆう自転車は、本来ヘルメットにピチピチの服でガンガン走る用の物で(今日は100キロ走りましたが別に、てな感じ)、僕も買った当初は何回か遠出もしたが、予想以上に東京の道路は車が多く走りづらかった。結果、車の少ない朝早く出かけるのもおっくうになり自宅待機が続いていた。

一度だけ英国旅行で使ったかっこいいが機能的でないグローブトロッターのトローリーケースと並んで自宅で置物化していたが、たまには乗るかとこないだチョコっと街乗りで走った。

久しぶりの自転車は、タイヤもサドルも割りばしみたいに細いので乗り心地は決してよくないけど、スピードを出すとランニングとはまたちがう爽快感があった。

ただ日常的に乗るには一つだけ問題がある、ペダルがビンディングタイプってことだ。

スキーみたいに靴にバッチっと留める方式で靴もそれ用のを履くが、靴底にソケットが付いているので、自転車を降りて歩くのには向いていない。

自転車屋で交換しようかと思ったが、いろいろ調べてるうちにアマゾンでよさげのものがありポチッとやって、フラットタイプのペダルを購入した。

ペダル交換なんて何十年ぶりだろう、レンチでグイって回して外し、グリスを塗って新しいペダルを取り付けた。

マウンテンバイク用のちょっとゴツめのフラットペダルを装着すると、何だか浪人が着流しで下駄を履いてるように見えた。

そうだ、この自転車は「剣心」と名付けよう!

次は乗りごごち改善のため、タイヤとチューブをちょい太めに変えるつもりだ。

徐々にママチャリ化していこう。でも歩道は走りません、信号も守ります。

この夏は小豆色の剣心と蕎麦屋とか映画館に出かけようと思う。ピチピチのバイク服じゃなく、ゆるい短パンとアロハあたりで。