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それも愛

性懲りもない日々をつらつらと

教育的指導をしたいおまわりさん

原宿の路上に二人の若い警官がいた。

らしくないなかなかイケてる半袖の制服を着ていたが、ピストルを所持していたのでポリスマンに間違いなかろう。

服は別にいいのだが、問題は二人とも揃って明らかにデブだったことだ。

「あれじゃ俺でも逃げられるよ」と内心思った。もちろん「止まらんと撃つぞ!」と言われれば観念するが・・・

消防士は毎日のように鍛錬してる。僕が通ってるジムでも若い消防士をちょくちょく見かける。(仲間同士の会話で職業はわかった)

消防士の場合は、自分自身の身を守るためにもフィットネスの意識が高いのだろう。

警官は日頃の鍛錬はやんなくていいのかなあ。体重制限とかないのだろうか?

おっちゃんに振り切られるようじゃ笑いもんだよ。

さっきの二人のように明らかな体重オーバーには少なくともイエローカードは出さないといかんと思うのだが。

赤羽は今日も熱かった

赤羽にあるステキな絵本の店「青猫書房」のサロンで休日に友人の催し物があり、出かけた。

30度を超え夏日となったこの日、心洗われる朗読と音楽のサロンコンサートのあとは、さらに命の洗濯に向かった。

赤羽は東京の城北地区の端っこ(荒川の向こう岸は埼玉県川口市)にあり今や居酒屋の聖地としても人気が高い。

昭和を感じさせるノスタルジックな繁華街に居酒屋が立ち並びぶ光景は一見もので、ここが東京か?と思う。大阪の通天閣あたりの雰囲気に似てるかなあ。

こうゆうとこの年季の入った居酒屋でいっぱいやるのは確かにくつろげる。

特別うまい料理でなくていい、普通で良心的な価格で客あしらいもマニュアルチックなものじゃなく、ゆったりした感じがいいのだ。

こないだ広島に行った時のお好み焼き屋なんて、観光客目当てでぎゅうぎゅう詰めで流れ作業のように料理を出していた。2軒ほどのぞいてみたが、こりゃダメだとごく普通の昼からやってる居酒屋に入った。こちらの方は店も空いてて名物の穴子やコウネ(コリッとした牛肉の脇肉)が旨く正解だった。

赤羽は最近女子会なんかでも人気らしいが、風俗系のお店があまりなくいわば健康的な?歓楽街なとこも女性もくつろげる理由の一つだと思う。

その昔は軍用施設や工場で賑わった街だ。元々は夜勤明けの職工さんむけで今でも朝からやってる立ち飲み屋も多い。ぼくは荒川沿いのランニング大会に出るときはラン終了後そんな店に駆け込む。

気のおけない友人と早くから飲んでハシゴをしてもあまり遅くならないうちに帰るのが、おじさんにはちょうどいい赤羽でした。

 

 

ビバ青梅線

JR青梅線立川駅から奥多摩駅を結ぶローカル線だ。

途中から単線になるなど、東京都には思えないのんびりした路線で、

この間乗ったさいには、なんと鹿が車両に衝突した影響で遅れが出ていた!(残念ながらその電車に乗ってなかったが・・)

僕は奥多摩の山に時々出かけるが、最近この青梅線がすっかり好きになった。

車両は最新になり綺麗だ。出入りは押しボタン式で、うっかりしてるとドアが開かないことになる。寒冷地に多いシステムで青梅線も冬はかなり冷え込むのだろう。それに乗降客自体少ないので、全部のドアを自動で開け閉めしていたらもったいないのだろうと思う。

青梅駅をすぎると景色は急に山っぽくなる。長野県あたりの山間地の景色みたいだ。

休日はぼくのような山歩きの人が大勢乗ってくる。

駅は無人駅も多く、かわいいい駅舎がポツンとある。

こないだは無人駅の川井駅で降り、山を登って、これまた無人軍畑駅で帰りの電車に乗った。

駅前に一件だけ売店があり、そこでビールと魚肉ソーセージを買って駅のベンチで飲んだ。

電車の本数は1時間に1、2本とのんびりしている。

山や渓谷の景色を眺めつつ東京は広いなと思いながら家路についた。

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会田誠はおもろい

現代アート奈良美智が好きだと言うと、共感してくれる人は多いだろう。(実際ぼくは以前から彼の展覧会には結構通ってる)

だが会田誠を好きだ(正確に言うと「おもろい」だけど)と言うのは、相手によっては憚られる。特に気に入った女のこにはやっぱり言わない方がいいかな?って感じだ。

よく言えば「サブカル」もしくは「トリックスター」、言い方を変えれば「エログロナンセンス➕オタク」かな。

でも中年男のいやらしさじゃなく、「うんこ」とか「ちんぽ」とか連発するガキかせいぜい思春期の若者の好奇心が発揮されてる感じだ。ぼくでもちょっと不快かなと感じるものもあるが、思わず笑ってしまうものも多い。

政治社会的なアジテーション物(かならずギャグが入ってるが)もある。ビンラディンに扮してコタツで日本酒を飲むパフォーマンスなんて結構きわどくて面白い。少し前には都立美術館の展覧会で文科省を批判した檄文を展示し、慌てて撤去されたらしい・・(入場者からクレームがあったとのわざとらしい理由で)

技術はしっかりしてる(東京芸大出)、日本画本歌取りの技法も取り入れた通好みの作品もある。洛中洛外図的にニューヨークを描き、零戦本阿弥光悦の雁のように弧を描き飛来し街を爆撃する作品などはゾクッとくる傑作だと思った。

エッセイも出していて文章も達者、要は才人なんだ。(安吾賞受賞)

でも言いたいことは言ってしまう(やってしまう)タチのようで、芸大時の総長にして美術界の大御所だった平山郁夫氏のパロディ画なんかも堂々と描いている。

日常生活でも言いたいことをゆうとたいがいヒンシュクを買うことが多くて、ようやく大人になった僕も近頃は気をつけているが、こうゆう人を見ると、痛快でいいなと思う。

そんな会田氏も40歳をすぎて、少し大人しくなったと言われるが、もっと暴れて欲しい。

わびさびもあればド派手もあり、奇想もあればエロもアリなのが日本文化の伝統なのだから。

浅草アミューズメントパーク

昨日久しぶりに浅草に行った。

飲み助の友人と前回の赤羽に続いて居酒屋探訪だ。

開店まで間があったので浅草寺にお参りに行った。寺には桜の花がよく似合う。

それにしても浅草は外国人観光客だらけになっていて、少し驚いた。

雷門から仲見世を通り浅草寺、5重の塔は修理中で見えなかったが、ここは立派なアミューズメントパークだと思った。しかもここには本物の歴史がある。

僕はディズニーランドなど出来合いのテーマパークはあまり好きではないが、こうゆう街全体がテーマパーク化しているのは面白いと思う。

2軒目を見つける為、街をブラブラしたが、浅草ならではの雰囲気もあり楽しめた。(かなりの酔っ払ってたおっさんも含め)

最後は老舗の蕎麦屋、味もならではだが、客あしらいが無駄がなくしかも気が利いてて気持ちがよかった。天ぷらをあてに熱燗がすすんだ。

ランニングシーズン終了

26日の埼玉県の上里ハーフマラソンで僕の今シーズンのランニングシーズンは終わった。埼玉県の北の端で荒川の土手に咲く菜の花がきれいだったけど、春の雨が冷たく体は消耗した。ゴール後、会場でふるまわれた名物のなめこ汁が体にしみた。

今シーズン、参加したランニングレースは、10キロが2本、ハーフが3本、30キロが1本でフルマラソンはなしだった。

全体的には走り込み不足の感、春先から始めた筋トレで体重も増加したので、スピードを上げづらくなったのはしょうがないが、ちょっとサボちゃったかなあ・・

それでも12月の神宮外苑での10キロでは5年ぶりに自己ベストを更新し、先日のハーフマラソンでは思い切って中盤飛ばしたが、攻めてる感じがしてなかなか楽しかった。(結局最後は失速気味だったけど)

4月からは筋トレに加え自転車トレーニングでちょっと体を絞ろうと思う。走るだけだと慣れもあってなかなか痩せなくなってきている気がする。

夏にはまた山にいくつか泊まりがけで登ろうと思う。今年は単独行が多くなりそうだ。

去年装具の準備だけしたのに行かなかったソロキャンプも楽しみだ。

12月にはフルマラソンにチャレンジしようと考えている。東京マラソンみたいにあまりにイベント化した大会ではなく、ローカル色ある地方の大会がいいと思う。

怪我しない様にいかに走り込みをホドホドに抑えて効率よくトレーニングするか、をテーマにして考えるのも楽しいことだ。

ともあれ今季のラニングのシーズンはゴールした。

 

 

スコセッシ vs 狐狸庵先生

映画「沈黙」を観た。

監督のスコセッシは僕の観た映画のベストテンに入る「レイジング・ブル」など生々しい暴力描写で有名な監督だ。

原作は遠藤周作キリスト教信仰を主題とする小説で、あのスコセッシ監督が30年近く前から映画化を構想していたと聞き意外な印象を持った。

スコセッシは、ニューヨークのイタリア移民街で生まれマフィアが暗躍する社会で育ち 、子供の時はカトリックの司祭になろうと思っていたらしい。

なるほど、社会の底辺に身を置き気質的にも欠陥を持つ人間が、同時に社会に受け入れられたい希望も抱え、もがきながら生きていく・・的な作品が多いのはそうゆう背景があるのかと今更に思った。

遠藤周作は狐狸庵先生として親しまれ、テレビなどでも活躍した人気作家だ。

ユーモア溢れるエッセイもあるが、小説はシリアスで人間の本質的な問題に迫ったものが多い。

「沈黙」は、人生の一大事でも何も助けてくれない「神の沈黙」を通し信仰の本質を解明しようとした作品で、無信仰の僕でも考えさせられるものが大きかった。

映画を見て、カトリック信者でもあった遠藤氏のキリスト教の捉え方をもう少し知りたくなり「イエスの生涯」を読んだ。遠藤氏の解釈のよると神とは無力でただ愛だけの存在で、だがそこにこそ救いがあるとのことらしい。

難しいことはわからないが、「愛とは伴走すること」という氏の考えには賛同したいと思う。