それも愛

性懲りもない日々をつらつらと

甲斐大泉「チャンドラ」再訪

清里で開催された「八ヶ岳ロードレース」のハーフマラソンに参加するため前泊した。

宿は清里の隣まちの甲斐大泉にある「チャンドラ」。昔のペンションを改装して1階をライブもできるジャズバー、2階は元からの宿泊施設でオーナーは昔僕が銀座にある会社に勤めていた時の同僚のO君だ。

O君は仙台生まれで東京の会社に就職し15年勤めた後、一念発起してバーテンダーと料理の勉強をして、このジャズバー & INN を2003年に開業した。

彼は同じ会社にいた頃、真面目で礼儀正しく地味なタイプだった。新興著しくイケイケムードの会社で社員も自己主張が強く目立ちたがり屋も多い中、一見気の弱そうでいて上司にも媚を売らないところが僕の印象に残っていた男だ。(僕の部下だったことがある)

その彼が脱サラをしてそんな店を開くとは、すでに退職していた僕が人づてに聞いた時はちょっとびっくりした。それから程なく訪問したのが8年前のことで、その時は大学時代の友人3人でジャズライブのある週末に宿泊した。

 

久しぶりに会ったO君は相変わらず控えめで丁寧だが、10年以上店を切り盛りしてきた逞しさが感じられた。

夕食は外食でもいいですよと言われたが、一階のバーでいただいた。ヘソ丈ほどのJBLのスピーカーから生演奏のような音でジャズが流れていた。

ライブのない土曜日のバーの客は僕の他は地元の常連客が一人だった。宿泊客はネットの評判などで比較的安定しているようだが、ジャズバーの方は平日では客の来ない日もあるらしい。それでも「バーですから12時までは店を開けてます」と。

バーメニューしかありませんとゆう料理はシンプルだがなかなかうまい。

リーズナブルすぎる値段のボルドーワインを飲みながら、この日は前回聞けなかったこの地でジャズバーをやるに至った経緯を聞いた。

 

就職する学生の多くがそうであるように彼もまた確固たる信念で会社に就職したワケではなかったようだ。いずれ自分の道を選ぼうと思っていたそうだ。

同僚とワイワイ酒席に交わるとゆうことの少なかった彼は、ある日偶然入ったジャズバーで遭遇したジャズライブに魅了され、その店の常連になりそのうちミュージシャンとも親交が出来たそうだ。その後いろんな縁もありこの地で開業に至ったそうだ。

転職とゆうか、全く違う分野での独立、おそらく大してもうからないことを承知で好きなことを生業にする決意をし、それを実行したO君を改めてたくましいヤツだなと思った。

 

翌朝、チェックアウトをして「次は間を空けずに寄せてもらよ」と僕が言うと、「それは・・」と彼は答えた。・・は「また機会があればお寄りください」とゆうことだろう。「またぜひ」と言わないところが彼らしいなと思いながらハーフマラソンの会場に向かった。

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代々木上原で下村順子展

旅先での出会いは時に印象的なもので、陶芸家の下村順子さんともそうだった。

 

もう7、8年前か、京都の中心部の古い町並みの堺町通りを一人ぶらぶらしていて、古い町家を改装したギャラリーに何気なく立ち寄った。

小ぢんまりした前庭を抜け建物に入ると、吹き抜けの天井の天窓から薄い光がさす細長い三和土(たたき)に焼き物の展示があった。他に来客はなく静かな空間に下村さんが一人で居た。

その時は町家のギャラリーの方に興味がわき、作品のことより建物について色々聞いた記憶がある。焼き物はオブジェ的なものが多かった。下村さんがアフリカ旅行に行って触発されたとゆうサハラ砂漠をイメージしたプリミティブな印象の作品が多かった。

ぼくは四角いドーナツのような(イサム・ノグチの「エナジーボイド」みたいな)作品を購入した。

 

以来個展の案内のハガキが年に一度くらい届く。(京都の「堺町画廊」は定例化しているようだが都内ではあちこちのギャラリーでやってるようだ)

作品はオブジェ的なものからその後割とオーソドックスな器ものに取り組み、最近は器ものがだんだん自由な造形や仕上げになり、下村カラーの器になってきたように思う。

 

今回は代々木上原の住宅地にある「ギャラリーYori 」での個展だった。上品で明るい感じの女性店主と下村さんと三人で歓談した。作陶工程の説明も聞けて興味深かった。

下村さんは華奢でポキっと折れそうな体つきをしている。服装もいつも地味だし化粧っ気もない。でもその作品からは自由で力強いエネルギーを感じる。

事前には日本画に合わせる花器かなと考えてたけど、トルソー的な作品が気に入ったのでそちらを購入した。

さて、どこにかざろうか・・

 

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合唱と蟬しぐれ

朝軽く瞑想をする。ホントは15分くらいはやりたいと思いつつ、雑念が多いぼくは5分くらいで止めることが多い。

今朝は蝉の大合唱が耳に入ってきた。夏も終盤に差し掛かり、蝉もラストスパートだ。

やかましいほどの音量だがいつの間にか聞き入ってしまう。夏とともに逝く蝉の必死さが伝わってくるからかなぁ・・などと考えていて、「そうかあれはそうだったのか!」と思った。

瞑想をしてるとそんなことがたまにある。

 

先週、高校の同級生が入っている合唱団の発表会に行ってきた。アマチュアの合唱団だが歴史のある区の合唱団だ。指揮者はバリバリのプロで、ソリストもかなりのレベルのプロがゲスト参加していた。

団のセンター付近に立った彼女の表情からいつにない感じを受けた。これまでも発表会は何回か聞かせてもらっているが、平素はマイペースな彼女もさすがに緊張した面持ちでいつも舞台に立っていたように思う。が、今回は何か強い意気込みのようなものを醸し出していた。

そのせいかいつものは3回以上は寝落ちしそうになるクラシック系の演奏会で1回しかそうならなかった。

発表会が終わり、同級生での飲み会の席で彼女から合唱団での苦労話も聞いた。なんでもそうだが組織でそれなりのポジションになるとなったで何かと軋轢があるものだ。利害関係のなさそうなアマチュアの趣味の集まりでも人間関係は大変らしい。

舞台の上と同じくその日の彼女はいつもより綺麗に見えた。

ダイエット?いい化粧品?はたまた恋でも・・などと杯を重ねながらぼんやり考えつつ楽しく宴会は終了した。

 

今朝一心に鳴く蝉の声を聞き彼女が綺麗に見えたのは、きっとこの合唱の発表会に注いだ努力や懸命な心情がぼくにも伝わってきたからだと思った。

「君は蝉だったんだね」とは言えないので、このことは彼女には黙っておこう。

 

 

今年の夏の旅のお供

夏休みで実家に帰省したり、どこか旅行に行くときには旅程に合わせて何冊か新しい本を持っていく。

日常を体ごと離れる旅行と、頭の中で時空を超える本(=物語)とは相性がとてもいい。

これまで読んだ夏旅の本では、20年ほど前バリ島に一人旅で9日間滞在したときに読んだ「マシアスギリの失脚」by 池澤夏樹 が印象深い。(旅行そのものもいろんな事があって面白かった)

架空の南の国での政変劇を描いた長編で、池澤氏の作品ではベストだと思う。

 

さて今年の夏は・・とブックセンターで手にとった本は、

月と6ペンス」 by サマセットモーム

若いときに読むような古典だけど、読みそびれていた。

寓話的な物語をイメージさせるタイトルと夏っぽい作者の名前(サマー!笑)に惹かれてこれを選んだ。

 

事前情報なしに読むと1919年に発表されイギリスで大ベストセラーになった作品は、さすがに読み応え十分だった。

株の仲買人から画家に転身したゴーギャンにヒントを得て書いたらしいが、ゴーギャンの実際の生涯を描いたものではなく、人間の生き方、男女の愛憎、悲劇や救いを画家の波乱の生涯の中に織り込んだもので、他のどんな作品にも似てない独自の作品だった。(月も6ペンスも一切出てきません!)

特に、絵を描くことに全てを捧げ他人には辛辣で容赦のない主人公と彼に憤慨しながらその人間性に興味を持つ文筆業の「私」とのキレのある会話が良かった。

 

久しぶりの旅のお供のヒットだった。

 

 

湯平温泉は寅さんのロケ地だった

夏季休暇で帰省中に大分県の温泉に行った。

大分の温泉とゆうと全国区ブランドになった湯布院もいいが、近年やや俗化した感もあるので、もう少し静かな温泉地を探すことが多い。

今回は由布院から10キロほど離れた湯平温泉に出かけた。

 

山間の道を分け入って行くと、花合野川(かごのかわ)の渓流沿いに20軒ほどこじんまりした旅館が立ち並んでいた。

開湯は室町時代と古く戦前は九州で別府に次ぐ人気温泉地として賑わったらしいが、今ではだいぶ色あせた感じで老朽化した建物も目に付いた。

予約した宿に着くと、外国からの先客がいて、仲居さんが英語で会話をしていた。

「なかなかやるな」と感心していると入り口にトリップアドバイサーのアワードステッカーが貼ってあった。

あごひげの似合う受付の男性に聞いて、平日では一軒だけやっているとゆう食堂に昼飯に行った。

江戸時代に作られた歩きやすいとは言えない石畳の道を下った先にある店は望外に良かった。ふっくらと焼けたうなぎを食べ、地酒を呑み僕の湯平温泉の評価ポイントはアップした。

英語のできる仲居さんといいこの食堂といい、見かけ以上に実力のある処かもしれんと思った。

 

宿に戻り入館すると、何やら見たことのあるお三方の写真が飾ってあった。

 

寅さん(渥美清)、沢田研二、田中裕子 だ。

 

宿で話を聞くと、ここ湯平温泉は僕が大学生だった頃観た「フーテンの寅 花も嵐も寅次郎」のロケ地で、主演の三人はじめ俳優陣がこの宿に泊まったとのこと。

事前には知らなかったので「へ〜 ! 」だった。

宿は全9室のこじんまりした旅館で大正時代創業だそうだ。オーソドックスな和風のしつらいの造りだがこれ見よがしな高級旅館ではなく価格も2食付きでひとり15,000円と良心的だった。

旅館自慢の洞窟温泉はミストサウナ状態でなかなか気持ち良かった。昔は混浴だったらしいが、今では壁で仕切ってある。(俳優のみなさんもここに入ったのかなあ)

露天風呂は開放感があり、周りの林から蝉の声の大合唱が聞こえた。

 

共同風呂が何軒かあるくらいで、これといった娯楽施設もない温泉街だが、静かで川沿いの景色が目にやさしいいい温泉地だった。

昭和5年に山頭火がこの地に逗留し、気むづかしい氏には珍しく気に入ったと自身書き残している。(温泉街の一角に「山頭火ミュージアム」がある)

「しぐるるや人の情けに涙ぐむ」

なるほど、そんなほっと一息つくような温泉地だった。

 

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6月の祭日はこれだ!

8月11日は、今年から新たに祭日となった「山の日」だそうだ。前日の午後、明日の仕事のスケジュールを確認してようやく気が付いた。

降ってわいたような休日だ、何しようか、この暑さだし、まあ美術館あたりか...

 

それはともかく、数年前までは6、7、8月は祭日のない月だった。それが数年前に7月に「海の日ができ今年は8月にも祭日ができた。

じゃあ、ひとり取り残された6月はどうするの?

国も企業も観光余暇産業を振興させたいと考えているので、早晩6月にも祭日を作るだろうと思う。

 

では6月は何の日がいいだろう?

6月のイメージは梅雨だろう、なら「雨の日」か?

これだと

「明日は雨の日だよね?」「いや天気予報では晴れだよ」

「そうじゃなくって・・」とややこしいので ✖︎

では「水の日

これなら環境問題を重視する時代の趨勢にあっているし、旧暦の「水無月」(この無はないとゆう意味ではないらしい)にも符合し、ふさわしいのでは無いか。

 

でも、僕はもうひとついいのを思いついた。

「大人の日」だ。

「こどもの日」も「敬老の日」もあるのだから「大人の日」が無いのは片手落ちだろう。日本社会を担い重税を払ってる「大人」を敬する日があってしかるべきだろう!

 

そしてこの日ばかりは大人が少々ハメを外しても大目に見る日にしてはどうだろうか?

なにかと窮屈な日本になりつつある気がするので、大和時代より続く伝統の寛容さを取り戻し、熟成した大人の国ニッポンを目指すためにも是非6月には「大人の日」を制定してもらいたい。

 

 

 

 

 

 

人生を素敵に踏みはずさないか?

これはアウトドア・ライターにして愛用のギターを手にブルースマンになりたがっているとのたまう堀田貴之氏の言葉だ。

 

20代の頃この言葉を堀田氏の著書で目にして、漠然と惹かれていた。

特に「踏みはずす」ってとこが気に入っていた。

その後しばらく堀田氏のこともこの言葉も忘れて過ごしてきたが、はからずもぼくはかなり踏みはずして生きてきたように思う。

 

最近になって堀田氏の未読のエッセイでこの言葉に再びふれた。

そしてその真意は「素敵に」の方にあることに遅ればせながら気づいた。

つまり、「素敵に生きようとすると踏みはずすこともある」とゆうことじゃないか!

踏み外せばいいってもんじゃない・・

 

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これからは「素敵に」を重視して過ごしていきたいと思う。

気づくまでかなり回り道をしてしまったが、まあ遅すぎることもないだろう。